オリジナルストーリー『"U"LYSSES』後編の作品紹介。
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日本連邦協和国
U.World日本では、明治維新に相当するものはあったが、薩長が権力を握ることはなく江戸政府による民主化が行われた。
U.World日本では、明治維新に相当するものはあったが、薩長が権力を握ることはなく江戸政府による民主化が行われた。
改元は100年に一度と定めている。1800年田沼意知よって開国政策がはじまり、新元号明治1899年まで使用され、大正は1900年、昭和は2000年、平成は2100年を元年としている。当初は立憲公武制を採用、1900年より半大統領制を採用。
帝国化していないため、大陸アジアとの関係は悪化していない。日韓併合なども行われていない。ただし海洋国たるべぐ制海権の確立と重商主義を進めた。アメリカとシベリア買収で競り負けしたことを機に、太平洋防衛のために太平洋植民地の独立運動とその支援と称し、保護国獲得に乗り出す。表面的には同じ民主主義を標榜するアメリカとは連携姿勢をとってはいるが、その実は太平洋の覇権をめぐり腹の探り合い状態にある。
日清・日露(我々の知る日清・日露とは多少異なる)戦争に勝利し、韓国・台湾を保護国とする。「東アジアの衛兵」と称賛される一方で、「倭寇」「東アジアの商軍」「太平洋帝国」と皮肉られることもある。世界でも指折りの軍力を擁し、特に海軍は列強すら忌避するほどの力を保持する。
上記戦争により、ロシアはソ連となり、共産主義と資本主義を掲げる日本と反目しあうようになる。また、中国は三分割され、長江より南は日本が保護国とした台湾を中心とした民主主義国家「東寧」、長江より北で、西の内陸部は清に続く王朝「青」、東はソ連と連携した「中華人民共和国(中国)」となっている。このうち、中国はソ連と同盟関係にあり、実質的には中国は反日の立場にある。
第一次世界大戦
日英同盟に基づき、連合国として参戦。
第一次世界大戦にて植民地の限界を感じてからは大陸への野心も薄く、海上権確立に注力している。保護国も順次独立させている。フィリピンを平和裏のうちにスペインから独立させることに成功し、保護国とする。保護国の周辺に人工島を建設し、広大な海上と空域を領するようになる。国際連盟常任理事国入りを果たす。
アメリカとはハワイをめぐり綱渡りの交渉が続く。
第二次世界大戦
帝国ではないため、中立国として当初傍観する。しかし、枢軸国となった中国が大韓民国、および青への侵略を開始したため参戦。
圧倒的軍事力で中国を追い詰めるが、日本の影響力拡大を恐れていたソ連は日本の反撃を「逆侵略」と見做し、ソ連が対日参戦する。同じく、日本の拡大を懸念していたアメリカはこのソ連の対日参戦を黙認し、中国はソ連の共産主義拡大に加担することを条件に援護を得た。
連合国側は日本を支援したが、追い詰められたソ連-中国は原爆を広島に投下。誤爆と主張したが、原爆投下を受けて、日本が報復のために核兵器(すでに日本は中性子爆弾を実用段階に進めていた)を使用することを恐れたアメリカが参戦宣言に至ると、ソ連-中国は講和を表明、日本はイギリスの説得もあり、アメリカからハワイの独立と損害賠償を共産陣営に認めさせることで世界大戦は終結する。
第二次世界大戦でアメリカに裏切られた不信感から、国連ではこれに反発して常任理事国から比較的負担の少ない非常任理事国となる。戦後、日本は急ピッチで復興を遂げる。
戦後
アジア民主主義の中心の位置を占めながら、資本主義と共産主義の対立はアメリカに任せ、賠償金でクリーンエネルギ研究に注力を注ぐ。しかし、チェルノブイリ・スリーマイル原発事故を受け、島国にとって原発が割に合わないとして脱原発に舵を切る。折しも大原帝国と中国・ソ連の「帝共戦争」が勃発し、戦争特需に沸く(結果として中ソ連盟が勝ち、大原は中華民国に亡命することになる)。その段階から環境問題に目をつけ、イギリスと共同でクリーンエネルギー開発に注力するようになる。唯一の被爆国という立場と、環境問題の点からこれを武器に冷戦をけん制する立場になり、結果として冷戦はイギリスと日本の共同仲介という形で落着する。
しかし、この時点では原発エネルギー生産量に対して、クリーンエネルギー生産量はやはり割が悪い。だが、日本は地震を誘発的に起こしエネルギーを電力化するアースクウェークテクノロジー、プレートエネルギーを独自開発し、電力輸入国から輸出国に転じる。
一方で、ギガ・フロートの大量建設や、それによる海上領土侵犯や環境問題、海産物の乱獲問題も抱え、必ずしも順風とは言い難い状況である。
第三次
友好国
・イギリス
日英同盟関係が続いており、イギリスとは「大西洋と太平洋の覇者」の関係で蜜月関係にある。
帝国化していないため、大陸アジアとの関係は悪化していない。日韓併合なども行われていない。ただし海洋国たるべぐ制海権の確立と重商主義を進めた。アメリカとシベリア買収で競り負けしたことを機に、太平洋防衛のために太平洋植民地の独立運動とその支援と称し、保護国獲得に乗り出す。表面的には同じ民主主義を標榜するアメリカとは連携姿勢をとってはいるが、その実は太平洋の覇権をめぐり腹の探り合い状態にある。
日清・日露(我々の知る日清・日露とは多少異なる)戦争に勝利し、韓国・台湾を保護国とする。「東アジアの衛兵」と称賛される一方で、「倭寇」「東アジアの商軍」「太平洋帝国」と皮肉られることもある。世界でも指折りの軍力を擁し、特に海軍は列強すら忌避するほどの力を保持する。
上記戦争により、ロシアはソ連となり、共産主義と資本主義を掲げる日本と反目しあうようになる。また、中国は三分割され、長江より南は日本が保護国とした台湾を中心とした民主主義国家「東寧」、長江より北で、西の内陸部は清に続く王朝「青」、東はソ連と連携した「中華人民共和国(中国)」となっている。このうち、中国はソ連と同盟関係にあり、実質的には中国は反日の立場にある。
第一次世界大戦
日英同盟に基づき、連合国として参戦。
第一次世界大戦にて植民地の限界を感じてからは大陸への野心も薄く、海上権確立に注力している。保護国も順次独立させている。フィリピンを平和裏のうちにスペインから独立させることに成功し、保護国とする。保護国の周辺に人工島を建設し、広大な海上と空域を領するようになる。国際連盟常任理事国入りを果たす。
アメリカとはハワイをめぐり綱渡りの交渉が続く。
第二次世界大戦
帝国ではないため、中立国として当初傍観する。しかし、枢軸国となった中国が大韓民国、および青への侵略を開始したため参戦。
圧倒的軍事力で中国を追い詰めるが、日本の影響力拡大を恐れていたソ連は日本の反撃を「逆侵略」と見做し、ソ連が対日参戦する。同じく、日本の拡大を懸念していたアメリカはこのソ連の対日参戦を黙認し、中国はソ連の共産主義拡大に加担することを条件に援護を得た。
連合国側は日本を支援したが、追い詰められたソ連-中国は原爆を広島に投下。誤爆と主張したが、原爆投下を受けて、日本が報復のために核兵器(すでに日本は中性子爆弾を実用段階に進めていた)を使用することを恐れたアメリカが参戦宣言に至ると、ソ連-中国は講和を表明、日本はイギリスの説得もあり、アメリカからハワイの独立と損害賠償を共産陣営に認めさせることで世界大戦は終結する。
第二次世界大戦でアメリカに裏切られた不信感から、国連ではこれに反発して常任理事国から比較的負担の少ない非常任理事国となる。戦後、日本は急ピッチで復興を遂げる。
戦後
アジア民主主義の中心の位置を占めながら、資本主義と共産主義の対立はアメリカに任せ、賠償金でクリーンエネルギ研究に注力を注ぐ。しかし、チェルノブイリ・スリーマイル原発事故を受け、島国にとって原発が割に合わないとして脱原発に舵を切る。折しも大原帝国と中国・ソ連の「帝共戦争」が勃発し、戦争特需に沸く(結果として中ソ連盟が勝ち、大原は中華民国に亡命することになる)。その段階から環境問題に目をつけ、イギリスと共同でクリーンエネルギー開発に注力するようになる。唯一の被爆国という立場と、環境問題の点からこれを武器に冷戦をけん制する立場になり、結果として冷戦はイギリスと日本の共同仲介という形で落着する。
しかし、この時点では原発エネルギー生産量に対して、クリーンエネルギー生産量はやはり割が悪い。だが、日本は地震を誘発的に起こしエネルギーを電力化するアースクウェークテクノロジー、プレートエネルギーを独自開発し、電力輸入国から輸出国に転じる。
一方で、ギガ・フロートの大量建設や、それによる海上領土侵犯や環境問題、海産物の乱獲問題も抱え、必ずしも順風とは言い難い状況である。
第三次
友好国
・イギリス
日英同盟関係が続いており、イギリスとは「大西洋と太平洋の覇者」の関係で蜜月関係にある。
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