オリジナルストーリー『"U"LYSSES』後編の作品紹介。
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青年期 | 初老期 |
英語表記 Masatoshi Sunahara
漢字表記 砂原 昌寿
生年月日 2044年04月07日/牡羊座
■登場作品■
・ユーホリック/伝導書簡
・ユーフィリア/福音書
砂原ノブオの父。外科医として世界の医療団に所属していたこと、高校の同級生ということもあり、原子ヨウイチとは「腐れ縁」である。ユーフィリア/福音書では日本に帰国し、地元で開業医を営んでいる。ヒュウがナミブ・プロジェクト事故に巻き込まれた際、偶然近辺で医療活動をしていた彼に救われたことが縁で、砂原家とバーン=ブレイク家は親しい付き合いをするようになる。
科学者としては時間生物学・惑星生物学を専攻していた。
科学者としては時間生物学・惑星生物学を専攻していた。
妊娠していた母親は、父である人物に妊娠の事実を告げずに別れた後に出産し、一人で育てていた。中学生の頃、母が他界して天涯孤独となったが、葬儀で初めてこの時父方の祖父と対面し、母が父方からの養育費をマサトシ名義で一銭も使わず貯めていたこと、父も既に他界していたことが発覚。当初父を、母を捨てた男と憎み荒れていたが、彼がずっと母を愛し気にかけていた経緯を祖父を通して知り和解している(ただし認知されても同居はせず、母の私生児として生きる道を選び、苗字も変更せず一人暮らしを続けた)。
喧嘩っ早い素行は別にしろ、学業に関しては大変優秀である。中学卒業後は(医師免許を取る前提ではあるが)イギリスに留学し、飛び級すらしてロンドン大学医学部を卒業し、その上でセドナ大学に渡米した(これだけは自分の荒い性格を抑えて問題など起こさなかった。理由は、祖父が安定した資格を彼に望み、彼が手っ取り早くなれると思ったのが医師資格だったからである。日本もこの時点では飛び級も可能だが、マサトシは日本から離れたかったので、同時に満足を満たせるのがイギリスでの医師免許取得であった、ちなみに、別に取得したのは日本を離れたかっただけで、医者になりたかったわけではない)。
もともとはセドナ大学で宇宙・時間生物学を専攻していた。だが、激しい気性ゆえ問題を起こすことが多く、危うく暴力事件で放校処分になりかけたところを、木梨ノトに救われる。
その後、彼のもとで研究をしていたが、自分のミスで恩師の研究に多大な損失を与えたことに責任を感じ、研究者の道を捨て、医者に転向した。世界の医療団に参加し、そのまま医者として人生を全うすることを決意した。
生命科学の楽しさをまだ幼かったヒュウに教えた張本人。直接指導に当たったわけではないが、常にヒュウに助言を与え、ヒュウも彼を「生涯の師」として仰いでいた。
スリランカ・パンデミックで息子が殉死し、その嫁も一年後に蒸発したため孫のトオルを引き取る。また、アブラクサス事件に纏わる経緯から疲労困憊していたショウを気遣い、愛弟子であったヒュウの娘、ケイトもともに引き取り夫婦で育てた。ひ孫娘・アルマの生誕直前に死去していたことが後のトオルの言葉で判明する。
普段はけして見せなかったが、自分に憧れて息子が医者になったため死んだことに対し、「ただの研究者で終われば、息子も死なずに済んだのではないか」と、大変深い悲しみを抱いていたことを語った。
妻・イチゴは元戦場カメラマン。
ちなみに、原子とは小学校から同じ学校で、中学三年間はクラスも同じだったが、彼のことをマサトシは全く覚えていなかった(爆)。
喧嘩っ早い素行は別にしろ、学業に関しては大変優秀である。中学卒業後は(医師免許を取る前提ではあるが)イギリスに留学し、飛び級すらしてロンドン大学医学部を卒業し、その上でセドナ大学に渡米した(これだけは自分の荒い性格を抑えて問題など起こさなかった。理由は、祖父が安定した資格を彼に望み、彼が手っ取り早くなれると思ったのが医師資格だったからである。日本もこの時点では飛び級も可能だが、マサトシは日本から離れたかったので、同時に満足を満たせるのがイギリスでの医師免許取得であった、ちなみに、別に取得したのは日本を離れたかっただけで、医者になりたかったわけではない)。
もともとはセドナ大学で宇宙・時間生物学を専攻していた。だが、激しい気性ゆえ問題を起こすことが多く、危うく暴力事件で放校処分になりかけたところを、木梨ノトに救われる。
その後、彼のもとで研究をしていたが、自分のミスで恩師の研究に多大な損失を与えたことに責任を感じ、研究者の道を捨て、医者に転向した。世界の医療団に参加し、そのまま医者として人生を全うすることを決意した。
生命科学の楽しさをまだ幼かったヒュウに教えた張本人。直接指導に当たったわけではないが、常にヒュウに助言を与え、ヒュウも彼を「生涯の師」として仰いでいた。
スリランカ・パンデミックで息子が殉死し、その嫁も一年後に蒸発したため孫のトオルを引き取る。また、アブラクサス事件に纏わる経緯から疲労困憊していたショウを気遣い、愛弟子であったヒュウの娘、ケイトもともに引き取り夫婦で育てた。ひ孫娘・アルマの生誕直前に死去していたことが後のトオルの言葉で判明する。
普段はけして見せなかったが、自分に憧れて息子が医者になったため死んだことに対し、「ただの研究者で終われば、息子も死なずに済んだのではないか」と、大変深い悲しみを抱いていたことを語った。
妻・イチゴは元戦場カメラマン。
ちなみに、原子とは小学校から同じ学校で、中学三年間はクラスも同じだったが、彼のことをマサトシは全く覚えていなかった(爆)。
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